金沢城公園!とりあえず、これだけ知っていれば楽しめます!

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写真提供/金沢市および金沢市観光協会

cut_kanazawajou01桜に新緑、紅葉に雪景色など四季折々の風情を楽しめる金沢城。
兼六園観光を楽しんだ後は、そのまま石川橋を渡って入城できます。
今では想像が付きませんが、その石川橋の下の道路は百間掘と言う大きな堀があったそうです。

NHKの大河ドラマ「利家と松」も記憶に新しいですね。
私が子供の頃は金沢大学があったので、「全国唯一のお城の中の大学」の印象の方が強いです。学食が安くて美味しかったのと学園祭が楽しかったので、移転したときは寂しかったです(涙)

金沢市と金沢城の歴史を簡単に

私も金沢市民なのですが、恥ずかしながら市の生い立ちなどは、詳しくは知りませんでした(汗)
なんと、天文15年(1546年)戦国時代の一向一揆で守護の富樫氏を滅ぼした加賀の「一向宗徒」が建立した寺院の尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町が始まりだそうです。
前田利家公が作った都市だと思っていました(汗)
しかも、初代金沢城主は前田利家公ではなく、佐久間盛政です。
1580年、織田信長の命を受けた柴田勝家の甥・佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に尾山城(金沢城)を築いたそうです。
しかし「賤ヶ岳の戦い」を経て、1583年以降、城主は前田利家公に変わります。
そこには織田信長暗殺の「本能寺の変」から始まり、「賤ヶ岳の戦い」までの権力争い、豊臣秀吉と前田利家公の友情や、男・佐久間盛政のドラマがあります!
ここは興味深い話なのですが、またの機会に!
そして前田利家公が尾山城(金沢城)に入城し、加賀藩の原型を築きました。
しかし豊臣秀吉と親友で信頼も厚かったため、いつも秀吉の近くに居なくてはならず、大阪や京に居る事が多かったので、金沢城へはあまり戻れなかったそうです。

これも知らなかったのですが、1599年、関ヶ原の戦い前に利家公が死去されていました!
そして翌年に起きた関ヶ原の戦いでは利家公の長男・前田利長と次男・前田利政は、東軍・西軍に分かれる事となります。
ここにもいろいろドラマがあるのですが、またの機会に!!
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康側の東軍に属した長男の前田利長は、加賀国、能登国、越中国を収める大名となりました。

利家公が始めた城の改築は二代利長に引き継がれ、三代利常の代に城下町も整備されて行きました。
そして兼六園は、名君と名高い加賀藩五代藩主前田綱紀がつくらせた大名庭園です。
しかも名高い綱紀公。奥様が若くして亡くなりましたが、その後に継室を迎えることはなかったそうです!一途ですね。
また生活困窮者を助けるための施設を作り「加賀に乞食なし」とまで称されました。
刑罰が過酷だった加賀藩ですが、綱紀が寛容路線を進めたそうです。

しかし、金沢城も度重なる火災に見舞われる事になります。
◆1602年(慶長7)落雷で天守閣が焼失。代わりに三階櫓を建造
◆1631年(寛永8)城下町の火災で金沢城が焼失
◆1759年(宝暦9)宝暦の大火で金沢城が全焼
この宝暦の大火は、城下町の大部分を焼く尽くした大火でした。
◆1808年(文化5)二の丸火災
◆1881年(明治14)金沢営所より出火。二ノ丸など全焼
現存している石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫は、国の重要文化財に指定されています。

それでは金沢城の人気スポットを見ていきましょう!

石川門と石川櫓(やぐら)

cut_kanazawajou11兼六園観光の後、桂坂口を出て石川橋を渡り、そのまま金沢城公園に行く方が多いのではないでしょうか?
まず人々を出迎えるのが石川門と石川櫓です。
イメージ的に石川門は正門だと思っていましたが、実際は裏門として使われていたそうです!
河北門が正門だったそうですよ!
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国の重要文化財である石川門は、さすがに立派で見ごたえがあります!
そして石川櫓は内部が公開される事もあるので、タイミングが良ければ見学ができますよ!
そしてすぐ右手に現れる二の門くぐると、金沢城公園が目前に広がります。

cut_kanazawajou14石川門から入ると金沢城公園が見渡せます。
目前には広い芝生の三の丸広場があります。
cut_kanazawajou04右手には河北門、正面には五十軒長屋と橋詰門続櫓、左手の高台には武具蔵として使われた、国重要文化財の鶴丸倉庫があります。

復元された河北門

cut_kanazawajou05石川門から入って右手にある河北門。
ガイドさんのお話によると、図面や資料が残っており「ただ復元したんやないげんぞ(金沢弁)」と仰ってました(笑)
こちらが河北門の表だと思ってしましますが、河北門が本来の金沢城の正門。
つまりこちらは門を裏から見た光景です。
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下の写真が本来の金沢城の正門「河北門」を表、つまり一の門です。
一の門の右手にあるのが「ニラミ櫓台」。
名前通り敵に睨みを効かすためなのでしょうね!

cut_kanazawajou08ありがたい事に二の門はいつも無料で内部が見学できます!
壁や床などには檜(ひのき)の一種である能登ヒバが使われてるそうです。
柱も梁もとても立派なでした!
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壁や床には敵を迎え撃つための仕掛けがあり、
床のガラス張りの部分は「石落とし」です。
城は軍事要塞だと言う事を思い出させます。
高い所が苦手な人には辛いです(汗)

圧倒的存在感の五十間長屋と、橋詰門続櫓、菱櫓

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cut_kanazawajou16石川門から入って正面にある五十軒長屋と、その左手の橋詰門に橋詰門続櫓と右手の菱櫓。
金沢城公園の石川門の次に有名な光景ではないでしょうか。
五十軒長屋にはお殿様が住んでいたのかと思っていましたが、武具等を保管する倉庫として使用されていたそうです(汗)
cut_kanazawajou18有料ですが内部を見学することができます。
釘などを使わないで再建された、日本古来の木組みの工法の粋を見る事ができますよ!
上の写真は橋詰門の一の門、下は二の門です。
番所も復元されていました。

cut_kanazawajou17菱櫓は建物の平面が正方形ではなく菱型なので、そう呼ばれるのだそうです。
上に行くほど勾配が急になる石垣は美しいだけではなく、敵が上りにくい「武者返し」となっています。「石落とし」も設置されています。
やはり内部見学ができますので、お時間がある方は、ぜひご覧ください。

重要文化財・三十間長屋

cut_kanazawajou03橋詰門の二の門を過ぎると、左手の高台に国指定の重要文化財・三十間長屋があります。
1858年に再建されました。
元々は食料や食器類を納めた倉庫だったそうですが、武器庫になって行ったそうです。
ちなみに「長屋」と言うのは「建物の形状」であって、時代劇でよく見る「部屋が並んで人が住んでいる集合住居」ではないそうです(汗)
金沢城には合計10以上の長屋があったそうです。

玉泉院丸庭園

cut_kanazawajou19三十間長屋を過ぎると玉泉院丸庭園があります。
恥ずかしながら、こんな立派な日本庭園があるとは知りませんでした(汗)
2015年3月7日に開園したそうです。
廃藩時まで存在していた庭園で、内庭として使用されていたそうです。
明治期に廃絶されましたが、発掘調査や、古絵図等をもとに復元されたそうです。cut_kanazawajou20
「玉泉庵」の室内からは庭園を一望することができます。
また、和室では抹茶と生菓子を楽しめ、茶会など貸切りもできます。

cut_kanazawajou21段落ちの滝です。
発掘調査では、斜面を4段で流れ落ちる滝の遺構が確認されそうです。
その後も発掘調査によって構造を調べながら作ったそうです。
うむむ、気が遠くなりますね。
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色紙短冊積石垣です。
こちらも発掘調査を重ねながら制作されました。
上部に滝を組み込んだ特別な石垣だそうです。
石垣の技術と庭園としての意匠とが見事に融合した金沢城ならではの傑作とされています。


いかがだったでしょうか?
石川門と五十軒長屋のイメージが強いでしょうが、金沢城公園にはたくさんの見どころがあります!
石垣のつくりや屋根の飾りの「破風」なども見ごたえがあります!
ぜひ当時の風景を想像しながらお楽しみください!

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